以前、私は石や骨をモチーフとした絵を多く描いていました。
石や骨は私にとって「死」の象徴と思われたからです。
「死」を描くことで「生」を問えれば、と思い描いていました。
しかし、眼前に「生」というすばらしいものがあるならば、
「生あるもの」を描こうと・・・。
生即死、死即生、故の「生」の美しさ、儚さ、
そして大切さを表現できないだろうか、と思い現在に至りました。
それを日常性のなかの光と影、
安定と不安定、動と静を使っての「現代観」を通じてどこまで表現できるか・・・。
私が画家になろうと決めたのは、17才の時でした。
無頼派に憧れ、普通の社会人になろうとは思いませんでした。
絵を描くことが好きだったので、短い人生自分の好きなことをして
一生過ごそうと思い決めたのです。
以来、一心に描き続けてきました。
描き続けることが自分自身の存在理由であると、
そして自分自身を探す術として・・・・。
その後の人生、多々色々とあったものですから
還暦を迎えた時は感無量でした。
とりわけ思い出されるのは20代後半、
自称霊能力者に”寿命は42才だ”と云われたことです。
そうか、では一日でも余計に生きてやろうと・・・。
そして43才になった時、一人樮笑んだものでしたが
42才という歳は何とも云えない気持ちでした。
五木寛之氏曰く「林住期」に入るわけですが、
その「林住期」なる月日を味わいながら描いていこうと思っています。
宇宙の中の地球、その地球の中の生物、
そしてその生物の中の人間とは、一体何なんだろうか。
世の中、大なり小なり様々な事件が起こっている、夫々に言い分があるだろうが。
小生はこれまで、回答のない問題に、微力ながら一石を投じるべく、
問題提起すべく描いてきたつもりですが、
どれだけ描ききることができたかは解りません。
しかしこれからも、現、「在る」を問えれば、と思います。
小澤 一正